広報誌GREENS VOICE vol.5(2020.December発行)

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緑の党 広報紙

GREENS VOICE

 

 

家具職人 ダニー・ネフセタイ Interview

 

 

「イスラエル化する日本」を憂い、

 発言し、行動し続ける

 

嘘と分かっていながら信じたくなる

矛盾のスパイラルに国の未来は望めない

 

 

多くのイスラエルの若者がそうであるように、高校卒業後、特に疑問を感じることもなく、徴兵制によって空軍に入隊し、やはり多くのイスラエルの若者と同様、退役後に放浪の旅へ放浪の旅に向かい、日本の土を踏んだダニーさん。そして、妻となる日本人女性との奇跡的な出会いがあって定住へ。イスライル人として、ごく一般的な認識を持ったダニーさんであったが、普通のイスラエルの若者であったダニーさんは、2008年のイスラエル軍によるパレスチナ自治区・ガザへの攻撃、「3.11」に伴う福島原発事故が大きなトリガーとなり、「声を上げていく大切さ」を実感。自ら発言や行動へと移していく。ここでは、外国人であるダニーさんから見た「日本の姿」をを探っていく。

 

 

【プロフィール】

1957年 イスラエル生まれ。3年間の兵役後、アジアを放浪する中、1979年に初来日。日本各地をヒッチハイクで回った後、その魅力を改めて確認したいとイスラエルに戻らず再来日。就学ビザに切り替えて日本語を学び、家具会社勤務を経て、1988年に埼玉県秩父郡皆野町に「木工房ナガリ家」を開設。夫婦で注文家具、遊具、木工小物、社会性オブジェの創作に取り組むとともに、友人と2人でで市民運動「原発をとめよう秩父人」を立ち上げる。著書に「国のために死ぬのはすばらしい? =イスラエルからきたユダヤ人家具作家の平和論=(高文研刊)」。人権・平和・原発などをテーマに講演活動にも注力している。

  

 

 

きれいで安心・安全な国・日本は何処へ

 

―― 1979年に初来日以来、通算で40余年にわたって日本で暮らしているとのことですが、日本で感じた当初の印象は? また、その後の日本はどう変わっていったと感じていますか?

 

ダニー 日本で最初に感じたのは、「こんなにきれいな国があったのか⁈」ということ。そして、「治安」の素晴らしさです。まず、どこに行っても、ゴミ1つ落ちていない。ヒッチハイクで各地を回っていても、誰もが親切で、荷物を置きっ放しにしていても盗む人はいない。親切な人も多くて、私がヒッチハイクで日本を回った際には、トラックの運転手がよく食事をご馳走してくれました。トラックを乗り換える度にご馳走してくれるので、1日に3度のランチを食べたこともありました(笑)。また、パン屋さんに行けばパンの耳がタダで手に入りました。世界で1番物価が高い国と聞いて来たのですが、ほかのアジア諸国を回った時より、お金を使わないで済みました(笑)。市井の人たちも親切で、道を尋ねると一緒に歩いて案内してくれる。後から気が付いたのですが、日本人には英語が苦手な人が多いので、言葉で説明できずに、そうせざるを得なかったのかもしれません。兎にも角にも、きれいで安心・安全な国だと感じたので、私が定住して2年後に妹が退役(イスラエルでは女性にも2年間の徴兵がある)して訪日した際には、ヒッチハイクで回ることを勧めたほどです。でも、いまは両方とも、決してそうではなくなってしまいました。

 

―― その変化は、どのような時に実感されたのですか?

 

ダニー 日本で長く暮らしている中で、私自身も徐々に慣らされてしまっていたのかもしれませんが、実は長い間、気付きませんでした。ところが、日本に住み始めて10数年経った頃、イスラエルから母親が遊びに来たのです。私は母に2週間に1度は手紙を出していて、そこで日本のきれいさを絶賛していたらしく、彼女もそう信じて来日したのですが、その眼にはそうは映らなかったようで、認識の違いを指摘されました。その言葉で、私も我に返って現実を直視することができました。確かに他の諸外国と比べると、日本はまだきれいな方かもしれませんが、私にとって「天国」とも思えた良さが40年の歳月の中で劣化しつつあることが残念でたまりません。また、格差社会が顕著になるにつれて、治安も自慢できるものではなくなりつつあります。これらは単に政治の問題だけではなく、私を含めて日本に暮らす人間1人ひとりの「甘え」に起因しているのかもしれません。

 

―― ちなみにイスラエルの方々は、日本についてどのような印象を持たれているのでしょうか?

 

ダニー 日本が永くなってしまったので、いまのイスラエル人が日本をどう捉えているかは分かりませんが、私の場合はやはり、広島と長崎がその象徴でした。原爆の被害国であるという認識が強かったことを覚えています。先の戦争で、多くのユダヤ人が迫害・虐殺を受け、悲惨な思いをしたことで共通意識を感じていたのかもしれませんね。それと大都会・東京、古都・京都……。決してサムライがいるとは思っていませんでしたよ(笑)。家電製品やバイクといったメイドイン・ジャパン製品は、イスラエルでも人気がありましたからね。

 

イスラエル化する日本とは……

 

―― ダニーさんの著書「国のために死ぬのはすばらしい?」は当初、「イスラエル化する日本」という仮タイトルが付けられていたとお聞きしていますが、それはどのようなことを意味しているのでしょうか?

 

ダニー そのキーワードとなるのが「武器」であり、そこに依存した安全保障の考え方です。私たちイスラエル人は、生まれた時から「国を守り、平和を維持するためには強い軍隊が必要」と教え込まれてきました。実際に軍隊に強力な武器を配備し、自ら武器を製造していく中で、イスラエルは中東で1番、世界でもトップクラスと言われる国力を築いてきたのかもしれません。ところが、「だったら、もう十分じゃない⁈」と言えないのが困ったところです。むしろ、「もっと新しい武器を」、「もっと強い軍隊を」とエスカレートしていくばかり。つまり、武器や軍備による「安心感」には限りがないのです。この矛盾のスパイラルは、「憲法9条」を変えようとしている日本にも、確実に押し寄せてきているといっても過言ではないでしょう。

 

―― 201312月に閣議決定された「国家安全保障戦略」で安倍前首相が掲げた「積極的平和主義」という言葉は、まさにそれを象徴しています。軍事的な手段によって、自国のみならず国際社会の平和と安全の実現のために、能動的・積極的に行動を起こすべきという考え方ですね。「同盟国である米国を始めとする関係国と連携しながら、地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与していく」というわけですが、「平和」という言葉に惑わされてしまいます。しかし、矛盾を感じる人も少なくないのではないでしょうか?

 

ダニー 「ウソと分かっていながら信じたくなる」というのが恐ろしいところです。イスラエルには徴兵制があって、原則として男女を問わず、現在では 18 歳男子で32ヶ月、女子で 24ヶ月の兵役年限が課されています。つまり、大学進学や就職といった進路も、兵役を終えてから決めるというわけです。しかし、先ほどお話したように「国を守り、平和を維持するためには強い軍隊が必要」と教え込まれてきたイスラエルの若者のほとんどは、兵役に就くことに疑問を感じていません。実際、私もそうでした。イスラエルでは子どもたちが18歳になるまでは「国が育てる」という共通認識があるので、高校までは学費は無料。軍隊での兵役期間は、国への「恩返し」といった感覚があります。しかも高校3年次にカリキュラムの一環として1週間の軍隊見学があって、若者のモチベーションを掻き立てます。いま思えば、「洗脳」され続けてきたわけで、平和を愛でる音楽に接し続けてきた若者も、中東情勢を考えるとそれが「叶わぬ夢物語」だと意識せざるを得ない状況を、国が与え続けてきたわけです。徴兵制こそないものの、日本人の多くも中国や北朝鮮という「仮想敵国」の幻想に洗脳され始めているのではないでしょうか。

 

―― 防衛省が2021年度予算の概算要求において、過去最大の5兆4,897億円を計上するなど、日本の防衛費は顕著に上昇傾向にあります。また、GDP比率も高まっています。これは「仮想敵国」への意識の高まりと考えていいのでしょうか?

 

ダニー 怖いですね。と同時に、もったいないとも思います。というのも、例えば中国における2020年の国防予算がどのくらいの規模かご存知ですか?  1,7816,000万ドル(約185,000円)ですよ。兵力は公表されていませんが、予備役を含まずに陸軍機動作戦部隊が85万人、海軍235千人、空軍398千人と言われていますから、総数はもっと多いはずです。それに対して自衛隊は定員が247,154人で、実際には充足率92%で227,442に過ぎません(令和2年版「防衛白書」より)。防衛費を増やしたところで、どう太刀打ちするのでしょうか? 経済格差が広がり、新型コロナウイルスがそれに追い打ちをかけている中にあっては、社会保障を充足させた方が、はるかに国のためになるような気がするのですが……。

 

―― 確かに「安全保障」は、国にとって重要な問題です。しかし、「抑止力」という言葉のマジックにより、「安全保障」は「軍備(防衛)」という言葉と同義語になりつつあるような気がします。「安全」を「保障」していくのであれば、「外交」や「友好」も重要な手段のように思えるのですが……?

 

ダニー まったくです。ただ、それができないのは、日本もイスラエルも共通して、近隣諸国を見縊る態度で臨んでいることだと思います。そこから脱しないと、安全保障の原点ともいえる外交・友好への道は厳しいでしょう。加えて言うのであれば、アメリカは本当に日本を守ってくれるのか⁈ という問題があります。トランプ政権が「アメリカ・ファースト」を掲げて支持を得たのは、アメリカという国自体が苦しい状況にあるからに他なりません。もしかすると、20年前のアメリカだったら、日本が有事になった際に手助けしてくれたかもしれません。しかし現在は、自国をどうするかということで精一杯なのではないでしょうか? 新型コロナウイルスによってアメリカ経済の低迷に拍車が掛かっている中で、その姿勢はさらに顕著になっていくような気がしてなりません。

 

戦後75年、日本には本当に戦争はなかった⁈

 

―― イスラエルは1947年から始まった第1次中東戦争以降、戦争や紛争が絶えまなく続いています。一方、日本では1945年の終戦以降、「戦争がなかった」とされています。とはいえ、朝鮮戦争が戦後日本の経済復興の一翼を担ってきたように、間接的には戦争に加担してきたことも確かです。世界中から戦争が亡くならないのは、そういう循環も一因のように思えるのですが、ダニーさんはどうお考えですか?

 

ダニー 日本が終戦を迎えたすぐ後から、イスラエルで戦争や武力紛争が続いているというのは、日本で暮らすイスラエル人である私にとっては因縁さえ感じています。多分、戦争がなくならないのは、それを支える「武器」によって潤う人たち、戦争がないと経済が成り立たない人たちがいるからだと思っています。講演で回っている際に、ある女性からこんな話を聞きました。戦後間もなくの話ですが、彼女の父親は町工場を経営していて、幼い頃はとても裕福な家庭で育ったそうです。ところが、ある日を境に一家は極貧になったといいます。父親の工場で製造されていたトラクターの部品の注文が突然途絶え、倒産したからでした。実は、トラクターの部品だと思って作っていたモノが、朝鮮戦争で使われていた戦車の部品だったのです。それが、北緯38度線での休戦協定が成立したため、突如、不要になってしまった……。彼女の父親の工場に発注していた側の人たちは、多分、十分に稼いだので問題なかったかもしれませんし、それを元手に次のことを始められたのかもしれません。しかし、知らず知らずのうちに武器の部品を作らされていた人たちは憂き目にあってしまうしかなかったのです。彼女の父親も、そこで働いていた人たちも……。現在のイスラエルの会社も、莫大な利益を出しているところは、何かしら武器の製造に関わっていると私は考えています。このような経済のサイクルを変えない限り、世界のどこかで戦争や武力紛争が止むことはないでしょう。武器は決して「守る」ための道具ではありません。「人を殺す」ためのツールです。それを一度手にすると、力に酔っぱらってしまうことを忘れてはなりません。私が声を大にして「武器撲滅」を叫び続けているのも、自身も兵役経験の中でそのような覚えを感じた瞬間があるからです。「武器」に目をつぶっているということは、子どもたちが「命」にも目をつぶってしまうということ。世界のどこかで子どもたちの命が危険にさらされているからです。

 

「人権」に関する講演で全国を巡ってみて

 

―― 40数年前に初来日されたダニーさんは、ヒッチハイクで日本全国を回ったそうですが、現在は学校を中心に講演活動で全国巡りをされているとお聞きしています。具体的に、どのようなお話をされているのですか?

 

ダニー 学校での講演は、いわゆる「人権講座」の一環として呼ばれることが多いですね。自分では「外国人の目に映る日本の人権」をテーマに話をしてきたつもりです。ただ、当初は学校側がアウシュビッツやナチスによるユダヤ人の迫害についての話を期待していた節もありました。ところが、私の話は戦争の話はもとより、福島の原発や沖縄の基地にも飛んでいきます。そのため、先生や保護者の中には「政治的発言」と受け取られることも少なくありませんでした。「日本にもナチスの考え方を踏襲している政治家がいるようだ」という話をした際には、先生方がざわつき始めたのをいまでも覚えています。そのような活動を続けていく中で、私の中にもある確信が芽生えてきました。「人権」という発想が、平和や環境、貧困をはじめ、社会のあらゆる諸問題とつながっているに違いない!! という確信です。その発想のもとに論理展開を考えて話をすると、多くの子どもたちからフィードバックが返ってくるので、いまはそれが楽しみで仕方がありません。

 

―― 日本の学校はもっと閉鎖的だと思っていましたが、まだまだ許容量が残っているのですね。また、近年「若者の保守化」が叫ばれていますが、若い人たちの反応について教えてください。

 

ダニー いままで「人権」について意識してきたことがなかった子どもたちが、刺激を受けてくれているという実感はあります。特に小学生は素直で、質問をすると多くの子どもが手を挙げてくれます。ただ、中学生はややこしい(笑)。俄然、手を挙げてくれる数が減ってしまいます。高校生辺りになると、真剣に考えてくれる子もいて、「今日の話をSNSで友だちに知ってもらおうと思います」と言ってくれたりもします。大学生になると、すでに選挙権を持っているわけで、私は「最も人権を尊重してくれそうな人に投票しましょうね」と伝えておきます。その割に選挙の結果はあまり変わりませんが(笑)、少しでも考えるヒントになったり、選択の指針にしてくれると嬉しいですね。

 

ユダヤ人、アラブ人⁈ イスラエル人、パレスチナ人⁈

 

―― 話は戻りますが、ダニーさんご自身も、以前はイスラエル人としてごく一般的な考え方を持つ若者だったということですが、いまは人権や平和、原発などの問題について積極的に発言されています。何かターニングポイントのようなものがあったのでしょうか?

 

ダニー 大きなトリガーが2つあります。2008年のイスラエル軍によるパレスチナ自治区・ガザへの攻撃と、「3.11」に伴う福島原発事故です。ガザ攻撃に関しては、民間人をターゲットとした攻撃が顕著だったからです。2008年のケースでは、イスラエル軍の戦車からの砲弾によって、パレスチナ人医師の娘3人と姪1人が亡くなり、一大ニュースとして世界中を駆け巡りました。また、2014年のガザ攻撃でも、避難場所となっていた学校が攻撃され、パレスチナ人20名命が奪われました。それらのニュースを知って、私は幼い頃から言われ、教わり続けてきた「戦争の正当性」とは、果たして本当なのか⁈ と自分の母国を疑いの眼で見ることができるようになったのです。ところが、多くのイスラエル人は違いました。無防備な子どもたちの命が奪われたことに思いを寄せたり、戦争の原因を客観的に追及することなく、これまで武力を否定し、外交の重要性を説いてきた人たちまでが「別の方法はなかった」という反応を示したのです。その根底には、インターネットによる情報の氾濫がありました。戦闘訓練しているパレスチナ人の子どもたちやイスラム過激派の写真がネット上に溢れることで、多くのイスラエル人の恐怖を増長させたのだと思います。また、2006年の「第2次レバノン戦争」以降、イスラエルは「戦争」を「作戦」という言葉に置き換えるようになりました。その結果、「作戦であれば、誤爆や失敗もあり得る」というエクスキューズが、命に対する不感を招いているようにも思えます。

 

―― 日本人の多くは、中東の問題に疎く、また関心も薄いように思います。イスラエル人、パレスチナ人という言葉が出てきたところで、それらの定義を一度整理していただけますか?

 

ダニー まず、ユダヤ人の説明から始めましょう。ユダヤ人は1つの民族です。広義ではユダヤ教の信者やユダヤ人を親(主に母親)に持つ血縁者を指すこともあり、いまでも世界中に散らばっています。そのユダヤ人たちが入植し、1948514日に建国されたのがイスラエルです。つまり、イスラエルは移民の国。長年にわたって土地を追われ、世界中に散っていたユダヤ人たちの願いは、「祖国を取り戻そう」ということでした。それが200数十年程前から展開されたシオニズム運動です。この運動を契機に私の祖父の時代辺りからユダヤ人たちは徐々に現在のイスラエルがあるレバノン・シリア・ヨルダン・エジプトと国境を接するパレスチナの地への入植を始めましたが、特に第2次世界大戦時のナチスに象徴される迫害・差別を契機にそれはさらに活発化していきました。そして、イスラエル建国の突破口となったのが、1948年に勃発した「第1次中東戦争」です。イスラエル側が「独立戦争」、アラブ側が「アン・ナクバ(大災害)」と呼んだこの戦争はイスラエルがパレスチナ地域の大部分を獲得し、独立国としての地位を固めました。当然ながら、パレスチナには以前からそこに暮らしていたアラブ人がいたわけですが、「第1次中東戦争」では200以上の村が破壊され、70万人~90万人(国連報告)のアラブ人たちが土地を追われ、難民になったといわれています。これが、パレスチナ難民の始まりです。避難先で世代が増えていく中で、いまや約560万人に達する世界で最も大きな難民グループであるといわれています。なお、パレスチナ人は現在、「パレスチナ地区に住むアラブ人」のことを指すようになっていますが、これはパレスチナ問題がクローズアップされるようになってからです。以前はユダヤ人、キリスト教徒を含むパレスチナ地域に在住するすべての民族を指していました。

 

―― イスラエルという国の成り立ちはわかりましたが、「イスラエル人=ユダヤ人」ではなく、パレスチナ人と呼ばれる人たちが内包されていることが、問題を複雑化・深刻化しているわけですね。

 

ダニー はい。実はイスラエルがユダヤ人の人口が最も多い国になったのは、ごくごく最近のことです。それまではアメリカでしたが、いまでも大きな開きはありません。アメリカがイスラエルに肩入れすることが多いのには、そういう事情もあります。また、一言でユダヤ人といっても決して一様ではありません。日本人の多くはユダヤ人がユダヤ教の敬虔な信者だと思っているようですが、私はユダヤ教会に通ったこともありませんし、毎日お祈りをしているわけでもありませんし、食事も何でもいただきます。実はイスラエルのユダヤ人の70%がわたしのような日常を送っています。日本人もまた、熱心に神社やお寺に行くわけじゃないでしょ(笑)。一方、イスラエルには、占拠された土地にもともと住んでいたアラブ人たちも少なからずいます。アラブ人というと、日本人はイスラム教徒を連想するでしょうけど、実はこれも正しくはありません。イスラム教徒の人口が最も多い国はインドネシアなんです。アラブ人とは、アラブ諸国に暮らし、主にアラビア語を話し、アラブ文化を受容する人たちで、もともとは多くの部族で構成されていました。ですから、アラブ人の中には同じイスラム教徒でもスンニ派とシーア派がいますし、意外かもしれませんがクリスチャンもいます。その中で、イスラエルが建国に当たって侵略したパレスチナ地域に住んでいたアラブ人を、いまはパレスチナ人と言っているわけです。パレスチナ人の中にはイスラエルの外に出て難民になった人たちもいれば、イスラエルに留まった人たちもいます。そして、留まった人たちの中にはイスラエルの国籍を持つパレスチナ人もいて、実はそれがイスラエルの人口の約20%を占めているのです。これは難民になった人たちが戻ってこないようにするためのイスラエルの政策でもあったわけですが、ある日を境に国内に留まっている人たちにイスラエル国籍を渡したのです。彼らはイスラエルのパスポートを取得することができますし、選挙権も有していて、彼らを支持母体とする政党から国会議員も選出されていて、大臣に登用された人もいます。ただ、残念ながら、学校は別、住んでいる地域も別。いわゆる分離政策でしょうね。特に2018年に憲法に準ずる「基本法」の1つとして加えられた「国民国家法」が成立し、そこでは「イスラエルは、ユダヤ民族の国民国家」と改めて規定されました。ちなみに1948年の建国時になされたイスラエルの独立宣言では「民族によって差別しない」ことが謳われていましたが、この法律は建国時の建前を廃し、「ユダヤ人に限定した民主主義」体制を強化するものになりつつあります。

 

―― パレスチナ自治区となっているガザ地区やヨルダン川西岸の併合地域に住むパレスチナ人の悲惨な状況をメディアが伝えることがありますが、イスラエル側から見た彼らのポジショニングはどのようなものなのでしょうか?

 

ダニー イスラエルから見た彼らは、イスラエルにいながら、イスラエル国籍を持たない人たちであり、しかもイスラエルが実効支配しているというスタンスです。パレスチナ自治区は国連には未加入ながら、137の国連加盟国が国家として承認(20195月時点)しているにもかかわらず、彼らは国籍もないままです。必然的に人権はなく、差別や迫害が横行しています。ちなみにヨルダン川西岸のパレスチナ人たちは、19676月に起きた「6日間戦争」と呼ばれる「第3次中東戦争」まではヨルダンの国籍を所有していたはずです。同様に難民になった人たちの中には、それぞれ温度差はあるにしても、シリア、レバノン、エジプトの国籍を取得できた人たちもいます。それが、イスラエルがヨルダン川西岸を制圧したことにより、彼らは国籍を持たない人たちとなったのです。「国籍がない」なんてことは国際法上、ましてや21世紀に決して許されることではありませんが、それがパレスチナの地では続いているというのが現実です。そういう中で、私はガザ攻撃の報道に接し、心を痛めるとともに、現状を変えていくためには「声を上げていく」必要性を実感したのです。それはイスラエルで生まれ育った1人としてでもありますし、地球上に暮らす人間の1人としてでもあります。

  

原発再稼働の動きは武器依存のロジックと同じ

 

―― 先程、ご自分を変えたもう1つのトリガーとして、「3.11」を挙げられていましたが、そのインパクトはどのようなものだったのでしょうか?

 

ダニー これまでにない激しい揺れを体感した後、報道を通じて津波に流される街々、そして絶対に怒らないといわれ続けてきた原発事故に接し、日本の人たちと同様、大きなショックを受けました。なかでも原発事故に際しては、「ただちに影響はない」という政府の発言が繰り返されていたことが気になりました。この「ただちに」という言葉に、重要な意味が隠されていると感じたからです。政府は「いまは心配しなくてもいい」と国民に安堵感を与えたかったのかもしれませんが、この言葉を額面通り受け取れば「いつかは影響が出る」ということでもあります。「それはどういう影響なのか⁈」、「影響が出た際に政府は何をしてくれるのか⁈」という情報がまったく示されない無責任な発言に、私の不安はむしろ大きくなる一方でした。4月には、イスラエルから派遣された緊急支援チームの通訳として被災地入り。被災地の悲惨な状況を目の辺りにして、私は報道と現実の乖離を実感しました。さらに「3.11」直後にイスラエルにいる母親が急逝し、緊急帰国することになったため、偶然ではありますがイスラエルの報道で「3.11」の経過をキャッチする機会もありました。これらの経験から、私はこれまで以上に日本の報道を疑うようになりました。戦争が日常の国に生まれた私は、都合の悪いことを隠そうとする祖国のメディアに接してきましたが、「日本のメディアも同じだなぁ」と再確認したわけです。同時にイスラエルに君臨している軍需産業と、日本における原発産業の共通点を強く意識するようになりました。それは数えるしかいない既得権益者のために、数え切れない人たちが犠牲になって成り立っているということです。

 

―― そのような中、ダニーさんはお仲間と2人で、「3.11」からわずか3か月後に「原発とめよう秩父人」を立ち上げられたとお聞きしています。そのような行動力の源泉は何だったのでしょうか?

 

ダニー 忘れもしない「第3次中東戦争」が始まった日でもある65日、妻と私は10名ほどの知り合いに声を掛けて、地元で「これからの日本を考えるために話し合おう」という小さなイベントを開きました。そこに集まった人は皆、「原発事故について真剣に考えているのは自分だけ」と思いつつ、「1人では何もできない」と感じ、悩んでいました。でも、この集まりによって、そうではないことが分かったので、グループを立ち上げて、定期的に会合を開くとともに、グループのFacebookページを開設して情報発信していこうとなったのです。それが、「原発とめよう秩父人」の始まりです。その後、原発の専門家を招いて勉強会をしたり、最も心配な子どもたちへの影響を知るために近隣の小中学校での放射能測定を行ったり、一緒に視察ツアーに出掛けるなど、皆でアイディアを出し合いながら、活動は日を追って活発になっていきました。そういう意味では、行動力の源泉は仲間だといっても過言ではないでしょう。

 

―― 来年(2021年)は、東日本大震災ならびに福島原発事故から10年目の節目となります。その中で、原発再稼働に向けての動きがいまなお強いことに、どのように感じていらっしゃいますか?

 

ダニー 「3.11」を境に強制あるいは自主避難をせざるを得なかった人たち、家族・親戚・友人を失った人たちの不安や悲しみは、いまも解消されたとは言えません。しかし、被災地から遠く離れて暮らす人たちや、直接的な被害を受けなかった人たちにとって、「3.11」はもはや「歴史の1ページ」に過ぎず、原発事故前と変わらない日常やスタンスに戻ってしまったかのような印象さえあります。それが残念でなりません。原発の問題も武器依存と同様、「戦争も原発もベストな方法ではないが、現状では他に方法がない」というプロパガンダに振り回され続けています。ただでさえ情報が溢れているいま、既得権益者たちは、敢えて自分たちにとって都合が良い情報を垂れ流し続けています。私たちは、早くそこに気が付くべきです。そのためには。情報を取捨選択する力を身に着けるとともに、どんなに偉い人の言葉でも鵜呑みにせずに、1人ひとりが自分で考え、自分の言葉で発信していくことが大切だと思います。

 

1人ひとりの「日々の活動」へ。コロナがその転換を促す⁈

 

―― 工房でダニーさんと奥様の作品を見せていただきましたが、木を素材としたとても温もりがある家具を制作されています。ダニーさんの家具職人としての矜持をお聞かせいただけますか?

 

ダニー 矜持というほどのことではありませんが、秩父に引っ越して、妻と私の夢だった「木工房ナガリ家」をオープンさせたばかりの頃、知り合いの陶芸家のパーティーに招かれた際に、彼の師匠に当たる方が仰った「ものづくりをする人間の使命とは、世の中を良くすることだ」という言葉が、ずっと脳裏に焼き付いていました。しかし、自分なりに理解するには、かなりの歳月を要しました。その後、家具を作りつつ、講演に飛び回ったり、反原発のイベントなどに積極的に参加している中で、ふと気が付いたことがありました。歌も踊りも素晴らしい。イベントやデモ、集会なども大切だ。そして、これらもある意味で「ものづくり」……。でも、何かが欠けている⁈ そう疑問を覚えた時に出てきたキーワードが、「日常」でした。回数が限られてしまう催し事は、どうしても「日常」とかけ離れた「一過性」のものになってしまう。世の中を良くするためには、やっぱり「日々の活動」こそが大切なんだと。だから、イベントに参加したら、それをより多くの人に伝えよう。日々の会話においても、社会や世の中の矛盾や課題について語り合っていこう。確かに私が創ったちゃぶ台は、誰かを幸せにすることはできるかもしれませんが、社会全体に役立つものにはなかなかなりません。一方で、私の日々の活動や発言が気に入らなくて、ちゃぶ台を買いたくないのであれば、それも結構。誰にも媚びずに「日々の活動」を積み上げ、作品も創っていく。それが、私の家具職人としての矜持と言えば矜持です。

 

―― 最後に新型コロナウイルス禍にあって、経済の低迷が長期化する中で、多くの人たちが、経済的にも精神的にもつらい思いをしていると思います。ダニーさんのお考えをお聞かせください。

 

ダニー もちろん、最も苦しいと思われる人たちに手が差し伸べられていない状況には憤りを感じています。しかし、一筋の光も感じています。世界のどこで起きている戦争や、福島を中心に甚大な被害をもたらした原発事故と異なり、新型コロナウイルスが世界中の誰にでも降りかかってくる問題だからです。チェルノブイリの原発の事故の際、多くの日本人は自国の原発は大丈夫と考えていたのではないでしょうか? いわば、対岸の火事、苦痛を感じない自分には関係がないという無関心が、あらゆる問題の解決を阻む要因の1つに他なりません。私はむしろ、新型コロナウイルス禍は1人ひとりが自身の経験を通じて、世の中の見方や捉え方を考え直すチャンスになり得るのではないかと期待しています。高額な武器を購入するくらいなら、その予算で医療を充実させた方がいいと考えるかもしれません。被災地や沖縄の基地問題で苦しんでいる人たちの気持ちを、共有しやすくなるかもしれません。そうやって、政府やメディアのメッセージを鵜呑みにするのではなく、まずは自分自身に問い掛け、考えること。そして、異論を感じたら、一緒に行動する仲間を探すこと。そういう人たちが少しでも増えれば、為政者はコントロールしづらくなるし、世の中の雰囲気も明るくなっていくのではないかと切望しています。

 


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