広報誌GREENS VOICE vol.7 (2021.Dec発行)

 

 

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**インタビュー全文**

「与党圧勝」と報じられている衆議院選挙にも、敗北感はナシ!!

 

―― 今年は7月の都議選、10月の武蔵野市長選、そして11月の衆議院選挙と、立て続けて選挙がありました。 市民運動の立場から応援に入り、武蔵野市長選では選対部長も務められた宮子さんにとって、今年は大変な年だ ったと思います。都議選・市長選・衆議院議員選と続いた一連の選挙を、どのように総括されますか?

宮子 ただいま、若干燃えつき気味です(笑)。全般を通しては、手応えを感じた 1 年でした。市民と 政党との握手の仕方に変化を憶えたからです。もちろん、上手くいったところと、そうならなかったところがありますが、1つのヒントというか、方向性のようなものが芽生えたように思っています。ですから、「与党圧勝」と報じられている衆議院選挙にしても、あまり敗北感は感じていません。

 

―― 手応えとは、具体的にどういったことでしょうか?

宮子 例えば、選挙運動の新たな手段として定着しつつある SNS。私はその仕切りを担当したのですが、 多くの場合、候補者は選挙用のアカウントを作って自身や政策のアピールを行います。ところが、SNS というのは双方向のコミュニケーションツール。これまでの自己主張型の選挙戦術とは少し違った使い方が求められます。その辺りの感覚・感触のようなものが分かってきて、SNS ならではの発信の仕方を工夫すれば、従来とは異なる層への訴求や新たな連帯やつながり方ができるということを実感できまし た。同時に「選挙用」だけではなく、普段からどうやってつながっていくことの大切さも確認できました。

 

―― 衆議院選挙では、大物議員が敗れるケースも目立ちました。やはり、有権者も変わってきたのでしょうか?

宮子 いわゆる「目線」の問題ではないでしょうか? 硬直した政治が続いてきた中で、「胡坐をかいた政治」では立ち行かなくなってきたのだと思います。リーダーだけが求められているのではなく、有権 者は自分たちと近い距離の政治家を求め始めているのかもしれません。その意味では、候補者にはこれまで以上に国民目線・市民目線が必要になってくるでしょう。しかし、実はここが難しい。一口に国 民・市民目線といっても一様ではありませんし、課題も山積しています。その中で、自分がどのイシューを優先して取り組むかという政治家としての本質的な選択と、それを具現化するための個人としての行動が問われてきているように思います。

 

―― 手応えとは別に、残念だったことは?

宮子 私にとって今回の選挙は、選択的夫婦別姓制度が認められるか否かのワンイシューと言う側面が ありました。公開討論会で、与党公明党を含め、自民党以外の党が全てこの制度への賛成を表明したか らです。自民党が単独過半数を割ってさえくれれば、議員立法で選択的夫婦別姓が可能になるのではな いか。そんな期待がありました。自民党が単独過半数を維持し、これが阻まれたのが無念でなりません。 選挙後、立憲野党の側から、ジェンダー平等は経済問題ほど票に繋がらなかった、と反省的に言われて いるのは安易な考えだとおもいます。特に差別される側の女性にとって、選択的夫婦別姓を含めたジェンダー平等は、切実な問題です。

 

―― 野党の中には投票率が上がれば、浮動票を取り込めるといった驕りのようなものもあったように思います。投票率が上がらなかったことについては、どうお考えですか?
宮子 私は、その分析には懐疑的です。いまの若い世代の投票行動を鑑みると、投票率のアップはむしろ与党に還元されるような気さえしています。それでもなお、投票率は高くあるべき。「1 票の力」の復元につながると考えるからです。投票率が上がらない理由としては、選挙制度の問題もあるかと思います。小選挙区制度は、もともと死に票が多くなり、票割れで勝者が決まる傾向があります。これを避けるためには与野党一人ずつの候補に絞るしかありません。この絞り方について、予備選挙や決選投票 といったやり方がないのか。多くの人が納得できる人が選ばれる制度に変えて行く必要があるのではないでしょうか。

 

―― 多様性が求められる時代であるからこそ、多様な人材が政治にチャレンジし、携わっていける仕組みが必要 だということですね。
宮子 そうですね。 「数の論理」が支配する現行の制度では、なかなか対話や議論が生まれません。 しかし、異なる意見や主張を戦わせながら、最適解を導いていくことこそ、民主主義の源泉です。そういう意味では、より多様な人たちが立候補することが、政治を変えるターニングポイントになると考えています。

 

―― 来年は参議院選挙の改選がありますが、最近では「参議院不要論」まで叫ばれ始めています。衆議院と参議 院という 2 院制の意義についてはどのようにお考えでしょうか?
宮子 参議院が衆議院のチェック機能を果たす、というのが 2 院制の目的でもあるわけですが、昨今においてこれが機能しづらくなっていることには憂慮しています。日本では、どちらも政党選択になっている感がありますからね。チェック機能というからには、もっと「人物を選ぶ」という要素が加味される必要があるように思います。その点、アメリカの上院・下院という制度は、それなりに機能しているように感じます。下院議員が特有の地域別選挙区を代表し、上院がより広い選挙区(州全体)を代表す るという点で、一見、日本と変わらないように思えますが、アメリカの上院選挙は人口の多少にかかわらず各州が平等(2議席)の代表権を持つように構想されています。つまり、小さな州が大きな州と同じ影響力を持ち得るわけです。また、有権者の方も党への忠誠という以上に、個人へ期待を軸に投票し ているように感じます。現在の参議院議員選挙は比例代表選挙と選挙区選挙によって構成されていますが、そう考えると比例代表にはやはり矛盾を感じてしまいます。

尊敬する母親との葛藤が、看護師の道を選択させた

 

―― 宮子さんは、文学部を中退して看護師への道にお入りになったとお聞きしています。何が自分の生き方に、 変化をもたらしたのでしょうか?
宮子 この問いに答えるには、やはり母との関係性からお話しする必要があります。ご存知の通り、母は日本における女性人権運動のリーダー的存在でした。つまり、当時としてはかなりすっ飛んだ女性で、 変わった親でもあったわけです。私はそれが嫌ではなく、文学部入学当時は優生保護法改定の阻止運動に加わったりもしていました。ところが、ここで葛藤が生まれました。仲間たちは親に隠れて運動をし、運動を通して親離れをしていきます。なのに私は、デモに行くと親がデモ指揮をしていて、そこは親の支配下なんですね。母親とは違う自分の存在を求めて焦りました。

 

―― いきなり免疫のようなものが働いて、自分を正常に保つ必要性に迫られたということですね。

宮子 潜在的には、世の中の母親像とは違うという認識は幼い頃からありました。当時はいわゆる新興住宅地に住んでいたのですが、周りに母親が働いている家はほとんどありませんでしたからね。ですから、「母親の味」を問われると、困惑していました。我が家の場合、忙しい母に代わって、家政婦さんがその役割を担っていたからです。とはいえ、自分の母親ですから、世の中の評価とは違うところで、 素直に受け止めることができていました。むしろ、変わった母親の子どもなんだから、自分も人とは違うのは当たり前くらいに捉えていたような気がします。なので、いわゆる反抗期はなかったですね。

 

―― エピソードのようなものがあったら教えてください。

宮子 まさにエピソードだらけですよ(笑)。例えば、私が大学進学を考えていた頃のこと。母は進路についてはとやかく言う人ではありませんでしたが、1 つだけ宣言されたのは、「学生運動がないような大学にはいくな」でした(笑)。私が大学に進学した 1981 年当時には、すでに学生運動自体が風前の灯火であったのも関わらず......です。時代錯誤も甚だしいわけですが、常に体制を変えたいと考え、 行動していた彼女にとっては、それは至極当然のことだったのでしょう。一方、私の方は得意だった国 語で、保守の典型のような大学への推薦入試を目論んでいました。楽に進学したいというよりも、競争を避けたい考えていたのです。しかし、母の思惑から外れていた私の計画は、見事、断念せざるを得ませんでした(笑)。

 

―― 「反体制が当たり前」といったような環境で育ち、大学に入学されてから葛藤が顕在化し、親子の関係も大き く変わっていくわけですね。
宮子 はい。ある意味、母親とは仲良しで、向こうもまた私のことを尊重してくれていました。他人か ら見ると、「友だちのような親子」にも見えていたようです。しかしその一方で、例え自分の子どもで あっても、自分の主義・主張で完膚なきまで論破するという一面もありました。それは母が私を大人扱いしていたということでもありますが、論破された私は泣くしかないわけです。でも、その涙の中から 考え、つかんだこともたくさんありました。その1つが、「親子は友だちにはなれない、なってはいけない」ということ。大学への進学から中退するまでの期間は、親離れ、子離れということを、お互いに感じ始めていた時期だったのかもしれません。

 

―― そこで看護師を目指されたわけですね。看護師を選ばれた理由は?

宮子 兎にも角にも、母親とは全く違う専門性、母親が立ち入ることができない世界に飛び込もうと考 えていました。とはいえ、学費をどうするか? 就職はできるか? など、さまざまな課題を鑑みて、看護師を志すことにしました。当時は就職難で、特に女性には厳しい時代。当時の看護基礎教育は専門学校 がほとんどでした。私が入った学校もそうでしたが、看護の世界を支えてきたのは、大学進学が経済的に難しい地方出身者なのです。縦関係が厳しく、母の周囲にいた高学歴でリベラルな人たちの集まりとは異質の世界でしたが、そこで視野が広がりました。

 

―― 看護専門学校では、寮に入って勉強されていたわけですね。

宮子 はい、大義名分付きの家出です。実は、そこでも「周りと違う自分」を感じていました。地方から志を持って看護学校に入った仲間たちにとって、入寮はまさに必然。その中で、東京在住だった私は 家出同然だったわけです。母は相当に怒っていましたからね。いま思えば、都会の子どもたちがなかな か親離れできないでいるのは、そういう背景もあるのかなぁと分析しています。

 

―― その選択を振り返って、どのように感じていらっしゃいますか?

宮子 100%、正解だったと思っています。看護学校というのは縦関係で、しかも地方の貧しい若者が多く集まる場所でした。自由な気風な高学歴者に囲まれていた私とは、まさに真逆の世界でした。その中で、私なりに別世界で生きていくための知恵を授かり、視野も広がっていったように思います。

マルチな生き方の原点は、「アウトプット」+「インプット」

 

―― 東京新聞の「本音のコラム」が好評ですね。また、看護師としての視座から、たくさんの著作も発表されていま す。看護師としてのポジショニングを定めつつ、文章を書くということにも真剣に取り組まれていることが分かります。本格的に文章を書くようになったきっかけは?
宮子 そもそも文学部に進んだくらいですから、本を読むことは好きでした。文学書から哲学書など、高校時代からかなり幅広い範囲で書物に接していました。そういう背景もあって、博士課程(看護学) の論文テーマはサルトルなんですよ。執筆を自分のもう 1 つの柱にしようと考え始めたのは、看護師になってからのことです。アルバイトで看護雑誌に書き始めたのがきっかけですね。そこで書いているうちに「看護師の眼」をベースに自分の考えをまとめてみたいと思うようになり、それを面白がってくれ る出版社の人たちの厚意もあって、著作を発表することができました。

 

―― 学びに対する意欲も旺盛ですね。大学通信教育などを通じてデザイン・経営情報学・法学・造形・教育学な ど、多彩な学問にチャレンジして修められています。その原動力と探究心はどこから来るものなのでしょうか?

宮子 天邪鬼なんですよ。自分がいるところから遠い世界に興味を惹かれてしまうんです。きっかけは、 仕事の中でのジレンマでした。看護の仕事というのは、どんなに頑張っても良い結果が出るとは限りま せん。特に私が経験した緩和ケア病棟などでは、どんなに一生懸命看護しても亡くなってしまうというのが現実でした。そんな時、ふと頑張れば結果が出るようなことをやってみたいなぁと考えたわけです。 その結果として選択したのが、勉強するということでした。思い立ったら行動に移すタイプですから、 最初は自宅から近い美術大学の通信教育部への入学を決めました。大学の通信教育というシステムは伝 統があるだけに、衝動的に入り、かつ看護師という忙しい仕事を抱えていた私でも十分に楽しめ、進んでいけるカリキュラムになっていました。そして、スクーリングと呼ばれる対面授業も、自宅から近い 学校を選んでいたので、無理なく受講することができたわけです。そうしたら、嵌ってしまったんです ね(笑)。看護というアウトプットで一杯いっぱいだったこともあって、インプットの実感が楽しくて仕方がなくなってしまったのです。学ぶことが気分転換になっていたんでしょうね。結局、大学の通信 教育で 5 つの専門を学んでいました。やはり、アウトプットとインプットのバランスを保つということは、大切なんだと思います。

「否定」ではなく、「寛容」にこそ、未来を創る力がある!!

 

―― 宮子さんはコラムなどでも「寛容」の重要性を説いていらっしゃいますが、それは看護師として人の死や苦しみ と接する中で生まれてきた考え方ですか?
宮子 そうだと思います。例えば、コロナ禍にあっては「罹った人が悪い」というような論調がありますが、「病気になりたい」と思ってなる人はいません。社会には、必然的に「状況を選べない」人がたくさんいるのです。なかには接するのに大変な患者さんもいますが、そこを否定せずに受容・寛容していかなければ、看護師という仕事は務まりません。

 

―― だからといって、理不尽や不条理から目を背けていいというわけではありませんよね。

宮子 個々が抱える事情や状況が、社会の制度的なものに起因しているのだとすれば、そこは是正していくべきです。ただし、リベラルな人にも不寛容な側面も垣間見られます。「正しい論理」が先立って、 他人に寄り添えなくなってしまうからです。置かれている状況は、間違いなく 1 人ひとり違います。だからこそ、寛容を起点に対話を生み、そこから論理を発展させていくことが、制度づくりには大切なのだと思います。

 

―― よくわかります。しかし、時代はむしろ「寛容なきポピュリズム」へと向かっているようにも思えます。世の中全体 が不寛容になりつつある現状をどう捉えていらっしゃいますか?
宮子 不寛容が分断へとつながっていくのか、分断があるから不寛容になるのかは難しい問題ですが、 いずれにしても恐ろしいことです。アメリカのトランプ政権が象徴的ですが、敵を想定した排他的なス タンスで岩盤支持層を築いていくという政治手法が分断を招いていることも事実です。それは、日本においても顕著になってきていると感じています。

 

―― 「岩盤支持層30%」が、政治や世の中を牛耳っているという現状ですね。この状況を解消・打破していくには どうすればよいのでしょうか?
宮子 ムードを変えるというのは、非常に難しい問題です。しかし、手をこまねいていても仕方がありません。1 つの方法としては、やはり政権交代が容易な国にしていくということではないでしょうか? それは決して対立軸を増やしていくということだけではなく、国民が多様な意見や主張に耳を傾けるというところから始まるのだと思います。そのためにも政治家には、課題となっている1つひとつのイシ ューに真摯に目と耳を傾け、困っている人たちに寄り添っていくという姿勢を、もっと分かりやすくしていくことが求められているのではないでしょうか?

 

―― それは国政レベルのことだけではなく、地方自治においても同じですよね。

宮子 そういうことです。変革は、むしろ地方自治から始まるのかもしれません。その 1 つの例として、武蔵野市が市民自治のさらなる推進を目的に、「自治基本条例」を踏まえた「住民投票条例」の改訂を進めていることは、大きな第 1 歩だと認識しています。「自治基本条例」は、地域の公共的課題など市政運営全般について、市民・議会・行政(市長など)のそれぞれがどのような役割を担い、どのような 対応をしていくかについての基本的なルール。いうなれば、「自治体の憲法」のようなものです。武蔵 野市ではそこに住民投票制度を核とする「住民投票条例(仮称)」を明記・制定することを目指して検討を進めています。ポイントとなる論点は 2 つあります。1 つは、住民による住民投票の発議について。 現状では有権者の 50 分の1以上の署名があれば市長に条例制定を請求できますが、実際には議会が可決しないと住民投票は実現しない仕組みとなっています。これに対して条例案では、必要署名数については現状以上の厳しさを持ったものと設定した上で、議会の議決を要せずに住民投票の実施を可能とする 常設型の住民投票制度を設けるべき考えを示しています。

 

―― 市長(行政)と議会による二元代表制による市政運営に風穴を開けようとする動きですね。

宮子 はい。二元代表制では住民からの信託を受けた市長と議会が責任を持って市政運営を行っていくことが大前提とされていますが、実際にはすべての案件を住民が選挙で白紙委任しているわけではありません。個別の問題や事柄においては、市長と議会の意向が市民全体の意向と乖離することだって十分 に起こり得るわけです。その際に、議会の可決に依存せずに住民投票を実施できる仕組みがあれば、よ り市民に根差した地方自治が推進できるはずです。

 

―― その際に原則、日本人と外国人を区別せずに住民投票の署名・投票を可能にすべきというのが、もう1つの 論点ですね。これについては主に為政者側から、「参政権の拡大解釈」という反発も大きいようですね。
宮子 そうですね。ただ、反発が大きければ大きいほど、議論が活発化し、拡がっていくという点では 歓迎しています。条例案では、市内に3カ月以上住んでいる 18 歳以上の日本人と定住外国人に投票権を 認めているわけですが、ここでいう外国人には永住者だけでなく、留学生や技能実習生らも含まれてい ます。当然、市長や議会には投票結果の尊重義務が課されることになります。その際に、国政に関わる 問題などについて異議が生じることを、保守系の政治家や市民は恐れているのです。そこで、「外国人参政権と同じ意味を持つのではないか」との指摘があるわけですが、これは日本に暮らすあらゆる人に 「人権」があるという問題を考え直すには絶好の機会だと捉えています。名古屋入管に収容されたスリランカ人女性が死亡した事件も含めて、いまだからこそ、考えるべき問題ではないでしょうか。


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