【インタビュー全文】
災害ボランティアに参加した気付きから、気候変動問題の重要性を認識
― 高校生のときから、気候変動のムーブメント『FridaysForFuture(以下:「Fridays」)』に携わり、アクションをスタートさせていますが、まずはそのきっかけは何だったのでしょうか?
山本 特に決定的な何かがあったというワケではなく、徐々に関心を高めていった感じです。トリガーとなっ たのは、僕が高校 1 年の 2019 年 10 月の台風 19 号(令和元年東日本台風)で初めてボランティアに参加したことだったように思います。静岡県・関東・甲信・新潟県・東北が記録的な大雨となったこの台風は、各地に甚 大な被害をもたらしました。死者も 40 年ぶりに 100 人を超えました。自宅の近くの多摩川も溢水し、友人宅が 浸水被害を受けたのを目の辺りにして、これまでテレビなどで観て漠然と参加したいと思っていた災害ボランティアに参加することを決断しました。赴いたのは栃木県でしたが、そこでテレビなどには映らない多く惨状 に遭遇しました。家中が壊滅的で、紙だと思って洗ってみたら大切な写真だったり......。そういうリアルな衝 撃と向き合う中で、これまで重要性を感じていた災害対策以前に、災害が起きないようにすることを模索し始め、気候変動の重要性を実感したというワケです。
―災害ボランティアでの気付きから、気候変動の本格的な取り組みへと加速させた動機付けは?
山本 その時点ではまだ気候変動というよりは災害への思いが強かったのですが、翌年の 3 月にコロナ (COVID-19)による「緊急事態宣言」が発出されて、社会そのものがどうなっていくんだろうという不安に駆られました。ちょうど高校 1 年が終わろうとしていたタイミングだったのですが、だったらリモートで何かや ろうということで、学校の「SDGs の会」というサークルで仲間たちと議論しようとを始めたわけです。当時は Black Lives Matter(BLM)の問題も盛り上がっていましたが、「SDGs の会」ですから、当然、環境問題もク ローズアップされていました。その仲間の 1 人が「Fridays」のメンバーで、彼の紹介で Webinar に参加したことにより、僕の中で気候変動へのモチベーションが高まっていったのは確かです。環境問題についてはそれな りに勉強し、分かっているつもりだったのですが、Webinar では 80%くらいが知らないことばかり。すると、災害ボランティアで体感したことがフラッシュバックしてきて、「これは何とかしなくちゃ」と積極的にアク ションにつなげていこうという気持ちが湧いてきました。
― 周囲はコロナのことばかりを気にしていたはずなのに、気候変動へと向かっていったのですね。
山本 というよりも、その頃は外出もままならなかったので、誰もがインプットする時間を強制的に作られていたような気がします。コロナや気候変動だけじゃなくて、さまざまな社会問題について、それぞれが考えていた時期だったんではないでしょうか? 僕も同じで、社会にある多くの問題を俯瞰していたら、それぞれの社 会問題が繋がっているという認識が醸成され、またたまその中心に気候変動があったということなんだと思います。
気候変動に対する周囲の反応はさまざま。
応援する家族や仲間はいたけど、痛烈批判も。
― そこでインプットされたことが、アクション(行動)というアウトプットへと向かっていったというワケですね。その時はまだ高校生で学業もあったわけですが、周りの反応はどんな感じでしたか?
山本 直後に「Fridays」に参加したわけですが、僕の親は放任主義なので、特に何も言わず、むしろ応援してくれている感じでした。で、数か月後にはビーガンになったのですが、もともと肉よりも豆腐が好きな方だったので、割と自然な流れでした。驚いのはその後、家族全員がビーガンに移行してしまったんです。きっかけ は僕でしたが、その頃に犬を飼い始めたこともあって、母親もアニマ ルウェルフェア(動物福祉)に関心を持つようになり、SNS を始めていろいろとインプットしようとしていた時期だったことが、それを加速させたの だと思います。その徹底ぶりは、当時中学生だった弟の給食を弁当に変えるといったほどでした。もっとも最近は、徹底したビーガンを抜けて、魚などは食べるようになっていますが、山本家には「肉はない」という状況が続いています。ちなみに最後まで抵抗していたのは父親でしたが、実は現在は最もビーガンにはまっています(笑)。
― 家族それぞれの関心事が、少しずつ同じような方向へと収斂されていったということですね。そのプロセスには、どのよ うなことがあったのでしょうか?
山本 1 つは母親が積極的にドキュメンタリー映画を観ていたことかもしれません。彼女が先行して観た映画を家族で追従していくわけですけれど、科学者やトップアスリートの話から人間にとって最適な食事を探求する 「ゲームチェンジャー」だったり、食や大量生産、洋服など、さまざまなテーマや問題を家族で共有したり、議論することができました。
― 同じ高校生として、友たちの反応はどうでしたか?
山本 学校では「SDGsの会」の他、サッカー部と慶応同好会の 3 つに所属していて、入学当初はサッカーに燃えていたのですが、2 年生になってからモチベーションが下がるようなことがあって、気候変動のアクションを起こした頃は休部していました。そんな中、SNS で発信を始めたら、分かってくれる友だちもいなかったわけではないのですが、一部の同級生から批判されたこともあって、「どうせ理解してもらえない」と、一時は学校というコミュニティを自分から外していた時期もあります。また、「Fridays」のアクション自体が SNS で炎上したことがあったのですが、その時は学校の友人たちが賛同・批判に二分されて、僕の関与しないところで 「謎のバトル」が起こっていたこともありました。
確かにアクションを始めてからは、友人関係は様変わりしましたね。ただ、一方で昔から仲が良かった友だちは僕の話に耳を傾けてくれましたし、新しい関係も生まれました。面白いのは、学校内に「政治言論サークル」が発足したんですが、そのほとんどが右派的な体制派の人たちなんです。ところが少数派ながら反体制派もいて、それまでまったく繋がりを持っていなかった、そういった後輩たちが僕の活動を応援してくれたのは嬉しかったです。
―いまもそうですが世の中、暗いニュースばかりです。不安感に襲われたり、鬱(うつ)状態になった経験はありませんか?
山本 最初の頃がピークで、幸運なことに「知ること(インプット)」から「アクション(アウトプット」 に移すまでの期間が短く済んだので、行動する中で自分なりに整理しながら心身をコントロールできたように思います。ただ、インプット当初は受け止められない現実に、目の前が真っ暗になりました。僕の場合は家族にも恵まれ、それなりの進学校に在籍していたので、将来とか未来について甘く考えていたところがありました。大好きな海や山、僕が築く家庭......、この先の自分を考えて八方ふさがりの状況に陥ってしまい、自分に対してはもちろんですが、能天気な周りに対しても常にイラついてましたね。
― 学業に影響はなかったですか?
山本 思いっ切りありました(笑)。自分の考えを学校の仲間たちに頑張って伝えることが面倒臭くなり、笑いで消化するようことが多くなっていき、学校そのものに価値を見出せなくなりました。そのうちに何のために学校の勉強しているのかも分からなくなって、成績は下降の一途を辿っていきました。そこで、学校ではい わゆる「やばいキャラ」で通そうと決めて、卒業までそれを貫いちゃいました(笑)。
大学受験もセンター試験の申込だけはしたものの、一般受験をする気はさらさらなし。AO 入試(総合型選 抜)1 本に絞り、失敗したら旅に出るつもりでした。結果的に慶応の総合政策学部に入学できたわけですが、「総合」の冠が付いている通り、学際的な人たちを集めているので、入学生のほとんどが AO 入試で受かった人たちで、一般入試で入ってきた人たちが肩身を狭くしている学部です(笑)。僕が入れてもらえたのも、 「Fridays」に関わっていたこともあって、「伴走型組織論」みたいなことを書けたからだと思います。
学生として切り取られていた自分から、 「そのまま」記録することの重要性を認識
― 現在の活動である気候危機を記憶する発信型ムーブメント『record 1.5』に移しましょう。立ち上げたきっかけと背景を教えてください。
山本 世代交代の時期でもあったので、「Fridays」で一緒に活動していた中村 涼夏(『record 1.5』共同代 表)と、社会人になっても続けられたり、発信に特化したような活動を模索することから始めました。その時に 2 人とも感じていた疑問は、マスコミは「Fridays」を取り上げられる際に、「若者」であることを前提にフレームに押し込めているんじゃないかということでした。最初からシナリオがあるかの如く一部分だけを切り 取られ、「若者」であることだけを消費され続けてきたような気がしていたわけです。確かにそれはそれで共 感を生むことはあるでしょう。しかし、そこで止まってしまうことも事実。むしろ、本質的な問題提起を阻んでしまう可能性さえありますし、自分たちの発信がデジタルタトゥーという負の遺産になることにも懸念がありました。そこで、立ち上げたのが、『record 1.5』です。そこには、「気候変動」の危機感を前後に内包されている課題や脈絡を含めて、「そのまま」記録として残し、多くの人たちと共有したいという思いが込められています。
― 団体名にもありますが、ポイントは「記録に残す」ということなのですね。このたび、その記録である「COP27ドキュメンタリー 気候変動が叫ぶ」が公開されますが、その経緯を教えてください。
山本 ドキュメンタリーという手法はマイナーかもしれませんが、それをアクティビスト(活動家)目線でで きるのは自分たちしかいないと考えました。2022 年 11 月にエジプトのシャルム・エル・シェイクで開催された 「COP27」を最初の題材として選んだのには理由があります。実は「COP26」では、2 人とも国内のサポート に徹していました。そこで「Fridays」のメンバーを送り込み、NHK の取材などを通じてそれなりのインパクト はあったのですが、実際にどのような議論が行われていたかとか、アクションの成り立ちについては、分からないままになっていました。
COP は国連の気候変動に関する枠組条約に加盟する約 200 国が参加します。そこには、代表団として送り込まれてきた人たちに加えて、市民運動を展開している人たちも各国から集まってくるので、密度が高い。しかも、 発信する相手も世界であり、国連なので、内容も多様で国際交渉の中身も濃い。さらに COP の開催意義も問われ始めています。それだけに、すべてではありませんが、COP は気候変動に関する言論空間の縮図として位置付けられると考えていました。
その中で「COP27」を選んだのは、開催国であるエジプトが、宗教・主義・人種・文化などといった気候変動の周辺にある問題を多様に持ち合わせているにもかかわらず、日本のメディアはそこを 1 ミリも伝えないだろうと思ったからです。そこを含めて記録として残しておくことは、僕たちの最初の舞台として、大きな意義があると考え、ここをターゲットにしました。
― 次の「COP28」の位置付けは?
山本 「COP27」を通して、損失と損害についての問題が、音沙汰なしになってしまっているのは非常に怖いと感じています。例えば、SB(補助機関会合)については、「科学上及び技術上の助言に関する補助機関」 (SBSTA)と「実施に関する補助機関」(SBI)の 2 つの補助機関の会合が年 2 回開催されることが決まりましたが、内容はこれからで、どちらかというと温室効果ガス排出削減目標(NDC)の世界全体の進捗状況を評価する仕組みとなる「グローバル・ストックテイク(GST)」に向いているように思います。GTS は大事ではありますが、技術的な議論になりがちなので、市民社会からアプローチするのは難しいトピックです。それだけに、シンクタンクレベルの議論にならないように落とし込みたいとは思っています。「COP28」についてはフォトキャストで発信する予定ではいますが、正直、つかみ切れていない状況です。
― すでに次のプロジェクトの計画も立てていますか?
山本 はい。今度は日本国内の具体的な問題をテーマにしたいと思っています。最初のプロジェクトも「COP ありき」だったわけではなく、いろいろ考えた末に選んだわけですが、グレタ・トゥーンベリが「いまは話し 合いの時期かなくて、実行の時期」と発言しているように、COP の開催意義を追求していく中で、実はローカ ルで何が起きているかが重要な意味を持つことを認識したからです。この 1 年間はまさにそこを考える時期でしたが、その 1 つが加害性の問題でした。例えば、入管の問題や LGBTQ への寄り添い方。その前提には沈黙して いることが加担しているということがあるわけですが、加害性に対するアクティビズムというのは実に難しい。 当事者ではないので、最終的には自分のアイデンティとかバックグラウンドに依存してしまうところがあるからです。年上目線になってしまったり、その発言は男性だからできることだったり、自分では寄り添っている つもりでも、相手からするとそう受け取れなかったりすることは多々あります。アクションを起こすにしても体力が必要だと、そうじゃない人が入り込めなかったり......。そうならないこと、問題の再生産にならないと いうことが、非常に大事。それだけに、発信にしてもアクションにしても、慎重に考え続けているところです。
― 気候変動に対するアプローチは?
山本 もちろん、続けていきます。ただし、僕自身が厳密には専門家ではないので、COP などの国際会議で専門家たちが決めたことを受け入れつつも、批判することができます。そういう発信を通じて世の中を覚醒させ、 COP の本質的な開催意義につなげていくことが、僕の役割なんじゃないかと感じています。
― 専門家ではないかもしれませんが、山本さんはすでに気候変動のムーブメントの中で、すでに大きな存在感を持って いる人だと認識しています。それだけに、自分の発言や発信が社会にインパクトを与えることへの責任のようなものは感じてい ますか?
山本 実は、そこが最大のジレンマとなっています。僕自身が、「オピニオンリーダーが世界を変える」とは 思っていないからです。マッチョな運動や能力主義の運動を通じて、素晴らしいオピニオンリーダーが出現して、その人たちが運動のアイコンになったとしても、必ずしも運動の本質と一致するとは限りません。そういう観点で、運動に携わっている人たちの中で力関係ができてしまうのも良くないと思っています。そこから分 断が生まれてしまう可能性があるからです。とはいっても、エゴを含めて自分の中に正義感や使命感があるこ とも確か。それを貫いていくべきか、別の方法でリリースするかについては、ずっと揺らいでいて、その葛藤 はずっと続けていかなくちゃいけないような気がしています。ただし、責任感という意味では、自分が何を訴えたいかではなく、運動の場にいない人たちを含めた「声なき声」を吸い上げていくこと。そういうスタンスや意識は、常に忘れないようにしています。
― 確かに「二者択一」できないことって、たくさんありますよね。
山本 パリ協定で示された「1.5 度シナリオ」もその 1 つです。世界の平均気温の上昇を 1.5 度未満に抑えるために温室効果ガス排出量を削減しようというわけですが、これは意見が分かれるところでもあります。重要な 数字であることは確かですが、締切主義で考えてしまっているため、逆に手段が目的化してしまっているからです。結果、達成するなら何をやってもいいとか、ジオエンジニアリングによる無理な対策が社会的な歪を生 んでいるケースも少なくありません。先程の「責任」ということを考えると、結局のところ、このロジックを 戦略に運動を展開する側を含めて、誰も担保できていないような気がしています。もちろん、誰かに責任があるわけではないのですが、発信する際には悪くなるシナリオを含めて、熟慮しながら言葉選びをしていく必要 があるとは感じています。実際に自分自身、討論会や討論番組で発言してきたわけですが、訂正したいところもたくさんあって、後悔先に立たずという思いもあります。
実体験から感じた日本社会の現在地
そこに思考停止を拒否する自分がいた
― 一方、日本政府は「脱炭素社会を目指す」といいながら、「GX(グリーントランスフォーメーション)」といった良く分から ない政策を掲げているように思います。これについては、どうお考えですか?
山本 確かにやるせなさや困った感はありますね。僕の場合はたまたまそういう機会があって、「Fridays」の 頃から国政選挙が行われるタイミングで各政党と意見交換したり、外務省・経済産業省・環境省の担当者と話し合う機会や大手企業が集まる脱酸素プロジェクトにも呼ばれたりもしています。気候変動問題に関する話し 合いを何で豪華なホテルでやらなきゃいけないのかと疑問を感じることもありましたが、どちらかというとそ ういう時ほどメラメラしてしまうタイプなので、敢えて強く主張するようにしています。慣れもあるのでしょ うが、そこでも「声なき人の声」が僕を後押ししてくれているような気がするからです。もちろん、だからと いって巨大な力をすぐに変えられるわけではありませんが、そこでの反応を持ち帰って皆と共有することも、 収穫の 1 つだと思っています。
― 地方自治体の動きについては、どのように捉えていますか?
山本 国政と比較して、議員との距離が圧倒的に近いということは間違いありません。それだけに、対話の場が持ちやすいというのは魅力的です。それだけに、自治体の取り組みが、一気に広がる可能性があると思って います。つい最近、僕の住んでいる調布市も「ゼロカーボンシティ宣言」をしましたが、良くも悪くも自治体に「隣がやっているなら、自分たちも」といった風潮があることは確かです。まだまだ濃淡はありますが、気候市民会議などの具体的なアクションを通じて、成功事例が成功事例を招くといった好循環が生まれることに 期待しています。ただし、地域には地域の問題があることも事実。例えば、再生可能エネルギーの問題では、 大規模化の波は顕著に地方に分散しています。そこで起こり得る問題を、電力を消費する都市側でも考えていく必要はあると感じています。
― 最後になりますが、山本さんの「夢」は何ですか?
山本 夢ですか? 自分で自分に問いたいところですが、気候変動というレイヤにおいては、これを人権や他の さまざまな問題に取り組んでいる人たちと連帯できるイシューにしたいというのが、夢というか、僕が追い求めている理想です。これは「Fridays」をやっていた頃から感じていたことで、人権や軍縮の運動をやっている人たちから、ようやく気候変動を同じ延長線上の問題として気付いてもらい、つながりができつつあります。 ただ、それはコアメンバーの人たちのところで留まっていて、運動を応援している人たちを含めるとまだ十分に浸透していないような気がしてなりません。特に日本の場合は、気候変動問題が数ある環境問題の 1 部分とし て閉じ込められてしまっている感があるので、まずはそこからの脱却を図って、もっと根本的・普遍的なところで多くの人たちと繋がりたいと考えています。
― 確かに環境問題1つとっても、気候変動の問題は原発とか汚染とか、公害とかとは異なるイシューとして捉えられてい る部分はありますね。
山本 同様に脱炭素ビジネスも。ビジネスになること自体は決して悪いことじゃなくて、必要でもあるんでしょうけど、ミスリードされてしまっているところもたくさんあるように思います。例えば、先程の地方自治の ところでも触れましたが、各地でメガソーラーの導入が展開され始まるなど、地方を犠牲にするトレードオフ が当たり前になってしまっていること。「再生可能エネルギーの割合を高めていくために、地方が犠牲になる のは仕方がない」と考えている人もたくさんいて、地方のリスクを最小化する議論はまったく行われないまま、 そういったロジックが政府の提言にも反映されてしまっています。これって、地方に暮らす人たちの人権に関わることなんじゃないですか?! と僕は切に感じています。
― 個人として思い描いている「夢」は?
山本 悪いことだとは思っていませんが、これまで生き急いできたところがあるし、いまもそうしなければならない立場があるのは分かっているのですけど、常により良いアクションを起こそうと、何か利他的になってしまっている自分を解放したいとは感じています。端的にいうと「優しい世界」を求めているわけですが、お互いに求めない、評価し合わないで済むような世界に憧れています。それは「個人を大事にする」ということ でもあるんですが、そこには「個性を尊重にする」ということと「個々の幸せ」という 2 つの方向性があって、 前者は能力に応じてランク付けされていく自由主義的な考え方。その意味では、ある種ユートピアなのかもしれませんが、後者の方が干渉や軋轢を生まないという点で「誰 1 人取り残さない世界」に近いように思っています。そういった渇望を抱いている人は少なくないでしょうし、完璧はないとは思いますが、特に社会運動をしていると、「自分がいなくなったらどうなる」みたいな焦燥感に襲われることが少なくありません。常に自分が頑張っていることを他の誰かに強いてはいけないと考えていますので、運動に限らず、生きていく中においても「いつでも立ち止まれる自分でいたい」という思いが湧き出しつつあります。これは自分が入院して感じ たことでもあるんですが、病院にいると「こんなに病気に苦しんでいる人がいるんだ」ということを認識できるんです。「弱さって、社会的だな」って思いました。結局のところ、いまの世の中はマジョリティ、多数派 によって支配されていて、そうじゃない人たちの意見はまず吸い上げられることはありません。それだけに、「数」や「勝ち負け」に囚われない社会に近づけられたらなぁ、というのが現在の僕の「夢」です。
― その「夢」に向かって軸としていることはありますか?
山本 思考停止にだけは絶対になりたくないという思いは強いですね。何でもそうですけど、「正解」を手に したところで、そのイシューは完結してしまいます。ビジネスも運動もそれは同じで、その先が見えなくなってしまうからです。次がどう動いていくかが誰も分からない中で、常に複視眼的に試行錯誤しながら、より良い選択肢や解決策を探っていける自分ではありたいと考えています。